当協会が公益法人としてスタートした昭和三十六年頃まで、乳等省令の改正は何回かあったが、飲用乳の表示に係る変更はなかった。ところが昭和四十二年になると、消費者から 「フルーツ牛乳 」や 「コーヒー牛乳 」等は「牛乳」とまぎらわしいと指摘され、公正取引委員会に表示改善指導が要望されるようになった。その結果、公正取引委員会は乳業界代表と、消費者代表を呼んで表示連絡会を開いた。
図-1
両者の意見には相違があったが、当時の全国牛乳協会はコーヒー牛乳などの表示の自主規制に踏み切ることになり、昭和四十二年六月「公正競争規約起草委員会」が設けられることになった。十一月になると牛乳協会が規約関係を扱うのは望ましくないとして、起草委員会は全国乳業協会から離れて「乳飲料公正取引協議会準備実行委員会」となった。さらに「準備実行委員会」では牛乳、加工乳、乳飲料を含めた公正競争規約を制定することになり、四十三年三月には準備実行委員会を四十二年十一月にさかのぼって、「全国飲用牛乳公正取引協議会設立発起人会」とすることになった。
こうした乳業界の流れのなかで、当協会にも協力要請があった。当時は牛乳瓶装による牛乳キャップが最盛期で、またまた表示変更とは大変なことと思ったが、当時組織されたばかりの公取協発起人会と協議を重ねることになった。一方で行政当局は今ひとつ表示に絡む乳等省令改正問題をかかえていた。すなわち、昭和八年から慣れ親しんできた販売曜日表示制を製造年月日制に変更するための乳等省令改正であった。
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したがって、この時の表示改正は牛乳・加工乳の成分表示と日付表示の二点が同時進行となり、ずいぶん奔走したものである。
発起人会からは規約に基づく表示内容の牛乳キャップ見本を依頼されたが、協会は乳等省令改正も横目で見なければならない。当時はまだ販売曜日制だったので、第一原案で先ず作成したのは販売曜日の入ったもの(図-2)だった。
ついで、製造年月日制に移行したときに、製造年月日が印字できるように、牛乳キャップの中央部を空白にした第二案(図-3)を作成した。牛乳キャップには製造日の表示のみで良いことになったので、これが現在に続く牛乳キャップの基本デザインとなった。
図-4
続いて公取協の発起人会から協議会のシンボルマークである公正マークのついた版下が依頼された。牛乳キャップは直径34.1mmで規格化されており、その面積内に乳等省令と公正競争規約に準じた表示をしたうえで、狭い面積内に公正マークのスペースを確保することは容易でない。牛乳キャップの印刷工程も考慮に入れ、先ず多色刷りでなく、単色で鮮明にすることを考えた。公正マークの試案を数種類つくり、打ち合わせた結果、シンボル化も考慮して現在の「公正」マーク(短径5mm)(図-4)が決定した。
※図-1は販売曜日時代の牛乳キャップの版下。 「フルーツ牛乳 」の記載がある。