わが国の酪農は、明治初頭の「牧畜大農論」を背景に、明治政府が乳牛や酪農技術を海外から積極的に輸入したことや、武士授産によって武士階層が都市搾乳業(屋敷の中に乳牛を飼い、乳を搾り周辺に販売する)を起業するなかで、文明開化とともに登場した。
その後、北海道での官営牧場の建設や酪農を基盤とする開拓、菓子原料としての練乳需要、都市部における牛乳飲用の増加などによって、生乳生産は北海道及び都市周辺の農村地帯に広がり、大正から昭和初期にかけて、徐々に日本酪農の産業的発展の道が切り開かれていった。
こうして戦前に築かれた産業基盤を基に、実際にわが国で本格的な酪農業の発展がスタートするのは戦後である。敗戦後の飢餓的食糧事情の中で、米国からの援助によってミルクを基礎とする学校給食制度が導入され、欧米型食生活の普及が図られた。これにより、わが国における牛乳乳製品市場は急速に拡大していく。それと併せ、食糧増産政策、戦地などから帰還した邦人や農家の次三男対策としての開拓農政が積極的に展開され、農業基本法による選択的拡大路線、加工原料乳に対する価格支持(不足払い)制度などによる手厚い政策支援によって、酪農生産が全国に広がっていく。
以上のような歴史を経て形成された現在の日本酪農であるが、しかし、1990年代をピークにわが国における生乳生産は減少に転じており、かつては90%超であった牛乳乳製品の国内自給率(供給量ベース)は最近では65%程度まで低下している。
本稿では、こうした日本酪農の基本的構造を理解していただくために、「日本酪農の基礎知識」と題して、データを中心にわが国酪農の姿を3回連載で概説する。先ず第1回目は、世界と日本の酪農生産の比較(表1・2010年のデータ)を通して、日本の酪農生産の現状を紹介したい。
1. 日本の生乳生産量はヨーロッパ主要酪農国 の3~1分の1程度
最初に、世界の酪農の中で日本がどのようなポジションにあるのかをみてみよう。
世界中の多くの国々で乳牛が飼われ生乳が生産されている。そこで表に、生乳生産量の多い国から日本までを順に並べ、酪農家数や乳牛頭数を比べてみた。
世界中で生産されている生乳量は約6億トンである。この数値は乳牛から生産されたもので、水牛・山羊・羊などの生乳は含まれていない。
その中で、日本の生乳生産量で上から21番目に当たり、約770万トンである。世界で最も生乳生産量の多い国はアメリカで約8,750万トン、日本の11倍。次いでインドや中国といったアジアの大国、さらにはロシアやブラジルなど国土の広い国々が続くが、これらの国々はアメリカ程ではないが、3,000~5,000万トンの生乳生産量。ヨーロッパで最も多いのがドイツの約2,960万トンでアメリカの3分の1程度、次いでフランスの2,400万トン。日本酪農の産業的規模は、生乳生産量で見ると、ヨーロッパの酪農国の3~4分の1と考えればよい。
年間2千万トン以上の生乳生産がある国は7カ国、1000万トン以上の国は17カ国である。なお、EU27カ国合計で149,100万トン、アメリカの1.7倍の生産量である。
これらの生乳生産国について、農場で生産された生乳の内、工場に出荷される量、すなわち一般市場に流通している量の比率を見ると、国によって様相が異なる。西欧、北米、オセアニアなどの古くから酪農が盛んな国々の場合は、牛乳乳製品のマーケットも発展しており、生産された生乳の多くが乳業工場に出荷されている。日本もその国の仲間に入る。
一方、アジアや南米、旧東欧の国々では、生産された生乳のかなりの量が、依然、農場で自給されている。インドやパキスタンでは、流通した量さえも統計的に把握できていない状況にある。これらの国々の酪農は、ある意味では産業として発展過程にあると言える。
2.酪農家の規模はアメリカの4分の1、フランスやドイツとほぼ同程度
乳牛を飼い、生乳を生産している農場(酪農家)の数は、統計的に把握できていない国も多いので、国際的な比較は難しいが、酪農が産業的に発展している国ほど酪農家の数は少なく、最大の生乳生産国アメリカでも53千戸に過ぎない。生乳生産量がアメリカの3分の1程度のロシアで酪農家が313万戸いることと対照的である。これは酪農家の乳牛飼養規模の違いによるもので、酪農が商業的に営まれているのか、依然、自給的段階にあるのかに由来している。こうした視点から、欧米主要国の酪農家の規模を比較してみると、アメリカ・172頭、ドイツ・51頭、フランス・41頭、ニュージーランド・57頭、イギリス・117頭、オランダ・76頭、イタリア・47頭、オーストラリア・213頭、カナダ・76頭で、日本(44頭)は、アメリカの4分の1、ドイツ・フランス・イタリアとほぼ同程度の規模である。
3. 日本の乳牛の産乳量は世界のトップ水準
乳牛1頭当たりの生乳産出量(産乳量)を比較してみよう。最も乳牛1頭当たりの産乳量の多いのはアメリカ・9590Kgで、次いでカナダ・8600Kg、オランダ・8070Kg、日本・8010Kg、イギリス・7550Kg、ドイツ・7080Kgの順で、フランス、イタリア、オーストラリアは6000Kg前後である。乳牛の産乳量は、乳牛の遺伝的能力と乳牛の飼養方法(遺伝的能力を十分に引き出すための良質な飼料の生産や適正な飼養管理など)の両面で決まることから、それらの国の酪農の技術力を説明する指標でもある。日本は、温帯モンスーン地帯で乳牛の飼養環境(乳牛にとっては暑い夏)や牧草の生産環境(雑草の繁茂)という側面では決して恵まれていない。そうした中で世界でもトップクラスの産乳量を誇っており、これは日本の酪農家の技術力の高さを示している。
なお、世界でも有数な酪農国であり、生乳生産コストでは主要酪農国の中で最も低いと言われているニュージーランドの産乳量は3660Kgと、ロシアやウクライナと同程度に低い。これはニュージーランドの酪農において、放牧を中心とする低投入型の乳牛飼養(多くの酪農国で行われている穀物を多給し乳量を増やそうという飼養管理方法と異なる)が行われているからである。