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平成21年度 第1回技術セミナー

平成21年度第1回の技術セミナーは財団法人日本乳業技術協会細野常務理事を講師に「牛乳・乳製品の我国における啓発小史と健康訴求に関する今日の国際動向」をテーマに10月8日に開催を予定しておりました。ところが10年ぶりの勢力の日本縦断の台風18号がその進路から、関東圏が開催時間に暴風雨圏内に巻き込まれることが前日時点で確実視されたため、種々のリスクを考え急きょ10月14日に開催を延期しました。そのためセミナー当日は業務等のご都合で当初の予定より参加者は少なくはなりましたが、細野先生のご専門分野を超えた興味深いご講演内容に参加者の方々は熱心に聞き入っておられました。
セミナーはまず椿山副会長の「今日の興味深いお話を明日の夜にはどこかの飲み屋のカウンターで知った風にお話しているかもしれない」という軽妙なご挨拶と講師のご紹介でスタートしました。
以下の内容は細野先生講演の一部を、ご許可頂いた録音から事務局福田が書き起こしたもので文責は福田にあることを最初にお断りしておきます。

最初に

私は大学で専門としては牛乳・乳製品の有用微生物を長年研究してまいりましたが今日お話しする内容については研究生活の傍ら耳学問で得たものや、遊びがてらに収集した情報を取り纏めたものです。学問としてご講演するものではございませんのでお気軽にお聞き頂ければと存じます。徳川幕府以降を中心に「啓発小史」をお話したいと思います。

徳川吉宗と蘭学

1603年に徳川幕府は創業されましたが、「鎖国」は2代将軍秀忠によって開始され、3代将軍家光の時代に完了されます。英明な君主として知られる8代将軍吉宗は開明的な将軍だったようで、「鎖国」のもつ閉塞感を少し緩和したいという気持ちを持っていたようです。例えばそれまで禁書となっていたオランダ語の本の禁書令を解いております。そして日本酪農発祥の地とされております、現在の千葉県南房総市の嶺岡牧場に白牛(はくぎゅう)をいれております。当地にあります資料館にお邪魔しますと、桃井源寅の寛政4年(1792年)に日本で初めて乳製品について書かれたとされる「白牛酪考」や寛政11年(1799年)に江戸から白牛が送り出されることを、道中の村々に通知した文書等が興味深く拝見でき、既にたびたび江戸から白牛が嶺岡牧場に移送されていたことが推測できます。

また吉宗は青木昆陽に蘭学を学ぶこと命じており、その門下には杉田玄白、前野良沢、宇田川玄随といった現代でも著名な蘭学者達が輩出しております。
特に前野良沢は津山城に藩医として赴任し、その門下達は美作(みまさか)洋学者と呼ばれていますが、そのひとりである宇田川玄真は文政5年(1822年)に「遠西醫方名物考」という全45冊に及ぶ著書の一部で「乾酪」という名称でチーズの製法を紹介しています。私はこれを長野電波技術研究所で初めて拝見した時に多分日本にチーズの製法を紹介した最初の翻訳書ではないかと思いました。




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開国と牛乳・乳製品

嘉永6年(1853年)にペリーが来日し、その「砲艦外交」で安政元年(1853年)には日米和親条約が徳川幕府と締結されます。その後安政5年(1858年)に日米修好通商条約が締結され初代駐日公使としてタウンゼント・ハリスが来日します。ハリスは下田にある玉泉寺の本堂の一室を日本最初の領事館と致しました。皆様よくご存知のようにお吉という女性がハリスに仕えるわけですが、お吉については歌舞伎や映画などで虚実をないまぜにしてとりあげられておりますので、ハリスとの関係についての真実はわかりません。ただこの玉泉寺の境内に牛乳の碑というのがございましてこの経緯をお話したいと思います。ハリスは「牛乳が飲みたい」という当時としてはかなりの無理難題をお吉に命じたようです。お吉がどうやって、どんな牛乳を調達してきたのかは、今となっては知るすべもありませんが、手をつくしてハリスに牛乳を届けたようです。ハリスはこれに対して当時としては考えられないような高額な費用を支払っており、これが日本産の牛乳に最初に価格がついたという点で牛乳の碑の由来となっているそうです。

万延元年(1860年)には日米修好通商条約の批准のために幕府の遣米使節団を派遣します。従来は咸臨丸でと言われておりましたが、これは明治政府によって「作られた」歴史であって、真実は米国軍艦のポウハタン号に77名の団員が乗って渡米した事が真実のようです。高崎市に東善寺というお寺があり、視察団のNO3である監察という役職であった小栗豊後守(のち上野介)の菩提寺になっております。そこにはこの使節団の写真や資料が掲示されています。祝詞調の批准書の写しも拝見することができます。また団員の多くが日記を残しており、例えば勘定組頭の森田岡太郎清行はその「亜行日記」のなかで、初めてアイスクリームを食べた時の感動を述べており、他の団員の日記にも同じような記述があります。日本人とアイスクリームの出会いと言えるかもしれません。

事務局注:小栗上野介はイギリス式の軍備近代化をはかった薩摩藩や長州藩に対抗して、フランス式で幕府の軍備の近代化をはかり、江戸城明け渡しに最後まで反対した幕府の主戦派とされている。慶応4年(1868年)幕府を罷免され、現在の高崎市で晴耕雨読の生活を送っていたが官軍により捕縛、1月後なんの取り調べもないまま処刑されている。

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明治維新と牛乳・乳製品

明治維新後、士族の人々はそれまでの武士の身分から離れ、色々な職業に就くわけですが、その一つに「搾乳業」つまり牛を飼って、牛乳を搾乳して販売する職業があったようです。例えば当乳業会館の近くである飯田橋1丁目の「北辰社牧場跡」という記念碑をご覧になったことがある方もいらっしゃるかも知れませんがこれは榎本武揚の牧場跡です。明治の元勲と呼ばれている方のなかにも「搾乳業」をされた方もいたようです。またこの商売は「士族の商法」としては比較的うまくいったようです。


またこの時期になると外国人の滞在者もでてきます。例えば現在の免疫学の基礎を作ったロシア人のイリヤ・イリイッチ・メチニコフの実兄であるレフ・イリイッチ・メチニコフは明治6年に現在の東京外国語大学のロシア語教授として招聘され10カ月滞日します。その10カ月の見聞を帰国後新聞に寄稿したものが、岩波文庫で「回想の明治維新」として翻訳出版されております。当時の日本人の庶民の生活をよく観察していると感嘆する本ですが、この中に明治6,7年には東京市内では乳牛がかなり飼われており、搾乳されていたという記述がありますので史実と判断してよろしいかと存じます。

一方明治5年に明治新政府は「牛乳考」という本を近藤芳樹という国文学者に書かせております。この原本が雪印乳業の一瀬文庫に保存されており、牛乳の効用や特徴を記述しております。私はこの原本を拝見させて頂く機会があり大変感動致しました。




細野先生はこの後も数々の牛乳啓発に関する文献とその歴史的な背景について講演され、森鴎外、芥川龍之介、鈴木梅太郎という明治、大正、昭和の著名人たちも取り上げられ、牛乳に関するその興味深いコメントを紹介されました。また昭和初期と現在の生乳中の細菌数の比較の興味深いデータについても触れられました。
その後現代の牛乳・乳製品に対する消費者のニーズや、EUの栄養プロファイルに関する議論、現在日本で行われている牛乳についてのジェネリックなマーケティングキャンペーンから、学術論文にみる牛乳の保健効果や牛乳に関する先端領域研究の現状、最近のアンチ牛乳の書籍の分析まで「時間と空間を超えた」幅広い講演をされましたが残念ながら詳細については紙面の関係で割愛致します。(事務局 福田)

 

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